読んじゃった~
2008年08月10日
読んでしまいました。
むさぼるように。一気に。
幸せ~

あ。。。これが私にとってのストレス解消の一つかも。

毎年実家に帰るたびに、弟の買う(金を払っていない私って。。。?)
ハリーポッターを読むのが楽しみでした。
上下巻ともに分厚いのですが、あっという間に読める面白さ。
子どもだけでなく、大人も十分に楽しめます。

まだ読んでいない人は
だまされたと思って是非読んでみてください。
古本屋さんで100円くらいで第一巻「賢者の石」が売っていると思います。
子どもでも好きな子は小学校1年生でも読むそうです。
高学年、中高生は、十分に楽しめ、
きっと思春期に心の拠り所になるような作品です。
自分の心の拠り所になるような本を思春期に持っていることは
とても幸せなことだと思います。
いろいろな現実を知る不安定な年齢の子どもにとって、
逃げ場になる本があり、
勇気付けられる本があるのとないのとでは大違いです。
とうとうこの「死の秘宝」で、ハリーポッターシリーズは完結。
なんだかとても寂しいです。

内容は。。。。最高でした。

傑作。すばらしいです。
全6巻(追記:全7巻でした)の中でも一番の出来だといえると思います。
ワクワク ドキドキ ハラハラ 涙・・・・

こんなことが頭の中に思い描ける作者は、すごい。天才。
作者に感謝です。
おすすめです!
お子さんとともに、是非!
以上、私の意見でした。
もちろんファンタジーは苦手。。。という人もいますよね。
あしからず。。。。
「感謝力」を高める!
2008年02月07日
朝からマウスの調子がおかしくて、記事が全部吹っ飛びました。
書き直しです。。。

昨日紹介した「鏡の法則」
この内容を手軽に知りたい方はここを読んでみてください。
(http://coaching-m.co.jp/reportaaa.pdf)
本の内容が全て書いてあります。
この本の著者の野口さんって、気前いいよな。
全く同じ内容のものを公開しちゃうんだから。
こっとんがけいれんした時、
私はブツブツつぶやいていました。
「助けてください」・・・まあこれはいいとして。
「ごめんなさい」・・・・これは???
何かやましいことがあるのか?
あるんです。大あり。
やっぱり私は、
「感謝」が足りない。
ごつパパに対してももっと当たり前にやってくれるとは思わずに感謝すればいいんだけれど、
すっと言葉として出てこない。
長年の凝り固まり、恨み辛み、自分の体裁・・・
そんなものが邪魔をして、
なかなか言葉にならない。
アドラーでも勉強したし、
頭ではわかっているのにもかかわらず、なかなか・・・
「感謝」「感謝」言っている人の言葉がうそ臭く聞こえてしまう始末。
鼻につくというか。。。。
もっと心からするものだと思うからか。。。。
この本の後ろの部分は解説になっているんですが、
そこに「感謝力レッスン」というのがあります。
「感謝」はあらゆるプラスの感情を生み出す源。
あらゆるマイナス感情を中和する力も秘めている。
よし。やってみるか。
レッスン1
寝るときに感謝したい人や
出来事をひとつ思い出し、
感謝しながら寝る。
「今日は(昨日は)こっとんの熱も下がって
みんな元気でよかったです。感謝します」
レッスン2
朝起きてすぐに、
鏡の中の自分に向かって、
「今感謝できること」を
3つ宣言する。
「1.今日はご飯がおいしく食べられそうです。ありがとうございます。
2.家族もみんな元気です。ありがとうございます。
3.住む家があります。ありがとうございます。」
レッスン3
「ありがたい」
「ありがとう」という言葉を
口癖にする。
これだな~問題は。
でも形から入ればいいそうです。
よくないことがおきても「ありがとう」と言うようにするんだそうです。
そうか、五日市さんが言っていたのはこのことか。
五日市さん、ご存知の方も多いでしょう。
「ツキを呼ぶ魔法の言葉」の講演をされた方です。
彼も、事故を起こした時とっさに「ありがとう」と言って、
難を逃れたという話をされていました。
問題は習慣化できるかということ。
これが一番の難題かも??

書き直しです。。。

昨日紹介した「鏡の法則」
この内容を手軽に知りたい方はここを読んでみてください。
(http://coaching-m.co.jp/reportaaa.pdf)
本の内容が全て書いてあります。
この本の著者の野口さんって、気前いいよな。
全く同じ内容のものを公開しちゃうんだから。
こっとんがけいれんした時、
私はブツブツつぶやいていました。
「助けてください」・・・まあこれはいいとして。
「ごめんなさい」・・・・これは???
何かやましいことがあるのか?
あるんです。大あり。
やっぱり私は、
「感謝」が足りない。
ごつパパに対してももっと当たり前にやってくれるとは思わずに感謝すればいいんだけれど、
すっと言葉として出てこない。
長年の凝り固まり、恨み辛み、自分の体裁・・・
そんなものが邪魔をして、
なかなか言葉にならない。
アドラーでも勉強したし、
頭ではわかっているのにもかかわらず、なかなか・・・
「感謝」「感謝」言っている人の言葉がうそ臭く聞こえてしまう始末。
鼻につくというか。。。。
もっと心からするものだと思うからか。。。。
この本の後ろの部分は解説になっているんですが、
そこに「感謝力レッスン」というのがあります。
「感謝」はあらゆるプラスの感情を生み出す源。
あらゆるマイナス感情を中和する力も秘めている。
よし。やってみるか。
レッスン1
寝るときに感謝したい人や
出来事をひとつ思い出し、
感謝しながら寝る。
「今日は(昨日は)こっとんの熱も下がって
みんな元気でよかったです。感謝します」
レッスン2
朝起きてすぐに、
鏡の中の自分に向かって、
「今感謝できること」を
3つ宣言する。
「1.今日はご飯がおいしく食べられそうです。ありがとうございます。
2.家族もみんな元気です。ありがとうございます。
3.住む家があります。ありがとうございます。」
レッスン3
「ありがたい」
「ありがとう」という言葉を
口癖にする。
これだな~問題は。
でも形から入ればいいそうです。
よくないことがおきても「ありがとう」と言うようにするんだそうです。
そうか、五日市さんが言っていたのはこのことか。
五日市さん、ご存知の方も多いでしょう。
「ツキを呼ぶ魔法の言葉」の講演をされた方です。
彼も、事故を起こした時とっさに「ありがとう」と言って、
難を逃れたという話をされていました。
問題は習慣化できるかということ。
これが一番の難題かも??
親のことを乗り越える
2008年02月06日
昨日はこっとんの病気のことを心配していただいてありがとうございました。
昨日も昼間に熱が上がったので、もう一度病院に連れて行きました。
けいれんも時間が短いのでてんかんの内には入らないとのこと。
ホッとしました。
夕方には熱も下がり、
何とか峠は越えたみたいです。
ありがとうございました。
励ましてもらって、本当に嬉しかったです。
自分がパニックで、意識があるとか、表情とか全く見られていなくて。
反省仕切りです。
本当に親は子どもに病気があるとおたおた。おろおろ。
自分の親もそうやって私を育ててきたんだろうな。
親といえば、最近面白い本を見つけたんです。
親のことでわだかまりを持っている方にも、
幸せになりたい方にもオススメの本です。
この本は漫画です。
野口嘉則さんが書いた「鏡の法則」という本を漫画にして
もっとわかりやすく「鏡の法則」について述べてあります。
著者は心理学を勉強されたコーチングの第1人者です。
自己実現をテーマにした著書が多数あります。
「鏡の法則」は100万部を超えるベストセラーだそうです。
ご存知の方も多いのでは?
私は全く知りませんでした。

中身を言ってしまうと、この本の面白さは半減するので言いませんが、
あらすじだけ言いますね。
主人公は小学生の男の子を持つ母親です。
子どもがいじめにあっているらしいことをクラスメイトの母親に聞き、悩んでいます。
力になりたいのに子どもは本当のことを言ってくれない。
旦那は自分が思っているように真剣に受け止めてくれない。
自分だけが子育てのことで悩んでいる孤独感。
そんなときに旦那さんが高校時代の先輩の経営コンサルタントを紹介します。
彼は企業や個人の悩みを解決している人だというのです。
始めは反発しましたが、
勇気を持って、その人に相談することにした主人公。
その人に鏡の法則を教えてもらうことで、
彼女自身の問題も、子どもの問題もみるみる解決していく・・・・というお話です。
不思議!!と思いますが、
なるほどと思うことも多々。
この中で主人公が父親に対するわだかまりを乗り越える場面が出てきます。
結果そのことが彼女に劇的な変化をもたらすんですが・・・
親のこと。・・・っていろいろありますよね。
ない人もいますね。親子の関係は良好で、幸せに暮らしてきた人もいます。
私もいろいろありました。
厳しくて、うるさかった父。
叱ってばかりだった母。
詳しくは言いませんが、
主人公と同じようにわだかまりを持っていました。
嫌で嫌で、心を開けなかった。
私の場合、家を出たことで親のことは乗り越えることができたと思っています。
更に子どもができ、自分も親になってはじめてわかることも多々ありました。
今は親に感謝していますし、大切に思っています。
私は親と離れてみて、わかることができ、大変ラッキーだったんですが、
そうでない人もきっと世の中にはたくさんいるんだろうな。
実際私の周りにもそういう人がいました。
「県外の大学に行くことを反対された」ために、
そのときのことがどうしても許せなくて、親とうまくいっていないとか。
親に侮辱されたことが許せないとか。
(そんなこと言ったらうちは侮辱のオンパレードだった)
そのために大人になってからもずっとわだかまった気持ちを持ったままです。
そんな簡単な問題じゃない人もいるんだろうな。
虐待された経験があるとか、
友達にもいるけど、自分たちをおいて出て行ってしまったとか。
もっと複雑な問題もあるでしょう。
人にもよるだろうし。。。難しい問題だな。
ともあれ、この本にはそういった許せない人に対して、
どうやって「許す」か、許すための8ステップが書いてあります。
私は結構参考になりましたよ。
自分を見つめなおすいい機会になりました。

昨日も昼間に熱が上がったので、もう一度病院に連れて行きました。
けいれんも時間が短いのでてんかんの内には入らないとのこと。
ホッとしました。
夕方には熱も下がり、
何とか峠は越えたみたいです。
ありがとうございました。

励ましてもらって、本当に嬉しかったです。
自分がパニックで、意識があるとか、表情とか全く見られていなくて。
反省仕切りです。

本当に親は子どもに病気があるとおたおた。おろおろ。
自分の親もそうやって私を育ててきたんだろうな。
親といえば、最近面白い本を見つけたんです。
親のことでわだかまりを持っている方にも、
幸せになりたい方にもオススメの本です。

この本は漫画です。
野口嘉則さんが書いた「鏡の法則」という本を漫画にして
もっとわかりやすく「鏡の法則」について述べてあります。
著者は心理学を勉強されたコーチングの第1人者です。
自己実現をテーマにした著書が多数あります。
「鏡の法則」は100万部を超えるベストセラーだそうです。
ご存知の方も多いのでは?
私は全く知りませんでした。

中身を言ってしまうと、この本の面白さは半減するので言いませんが、
あらすじだけ言いますね。

主人公は小学生の男の子を持つ母親です。
子どもがいじめにあっているらしいことをクラスメイトの母親に聞き、悩んでいます。
力になりたいのに子どもは本当のことを言ってくれない。
旦那は自分が思っているように真剣に受け止めてくれない。
自分だけが子育てのことで悩んでいる孤独感。
そんなときに旦那さんが高校時代の先輩の経営コンサルタントを紹介します。
彼は企業や個人の悩みを解決している人だというのです。
始めは反発しましたが、
勇気を持って、その人に相談することにした主人公。
その人に鏡の法則を教えてもらうことで、
彼女自身の問題も、子どもの問題もみるみる解決していく・・・・というお話です。
不思議!!と思いますが、
なるほどと思うことも多々。
この中で主人公が父親に対するわだかまりを乗り越える場面が出てきます。
結果そのことが彼女に劇的な変化をもたらすんですが・・・
親のこと。・・・っていろいろありますよね。
ない人もいますね。親子の関係は良好で、幸せに暮らしてきた人もいます。
私もいろいろありました。
厳しくて、うるさかった父。
叱ってばかりだった母。
詳しくは言いませんが、
主人公と同じようにわだかまりを持っていました。
嫌で嫌で、心を開けなかった。

私の場合、家を出たことで親のことは乗り越えることができたと思っています。
更に子どもができ、自分も親になってはじめてわかることも多々ありました。
今は親に感謝していますし、大切に思っています。
私は親と離れてみて、わかることができ、大変ラッキーだったんですが、
そうでない人もきっと世の中にはたくさんいるんだろうな。
実際私の周りにもそういう人がいました。
「県外の大学に行くことを反対された」ために、
そのときのことがどうしても許せなくて、親とうまくいっていないとか。
親に侮辱されたことが許せないとか。
(そんなこと言ったらうちは侮辱のオンパレードだった)
そのために大人になってからもずっとわだかまった気持ちを持ったままです。
そんな簡単な問題じゃない人もいるんだろうな。
虐待された経験があるとか、
友達にもいるけど、自分たちをおいて出て行ってしまったとか。
もっと複雑な問題もあるでしょう。
人にもよるだろうし。。。難しい問題だな。

ともあれ、この本にはそういった許せない人に対して、
どうやって「許す」か、許すための8ステップが書いてあります。
私は結構参考になりましたよ。
自分を見つめなおすいい機会になりました。

男の子の育て方~その2
2008年01月29日
さて昨日の続きです。
オチンチン力のことを要約しますね。
要約
男の子はおしっこするとき、それをどこへ向かってするかという判断をします。
同時に自らの手でそれを支えて出したい方向に確実に用を足そうとします。
ここには意志が働きます。
おしっこは男の子の自己コントロールの根本なのです。
ということは、便器を汚さずに確実におしっこできるようになった子どもは
しっかりしやすいということになります。
さて、「風もないのに・・・」と申しますが、オチンチンはいつもプラプラしています。
このことからか、男の子は無意識的に気が散りやすいという特性を持ちます。
男の子はチョロチョロします。際限なくチョロチョロします。
私はこのチョロチョロこそが男の子のもっとも大切な能力だと思うのです。
私はこれを「オチンチン力」と呼びます。
オチンチン力はオモロイことを求め探し、見つけます。
またその過程で信じられないような発展的アイデアをもたらします。
オチンチン力は男性の創造性の全ての源なのです。
オチンチン力があるから男はオモロイことを思いつくのです。
そしてオチンチンがあるからこそ絶えず気が散って無意味なことを繰り返すのです。
男の子を育てるにはチョロチョロするのをやめさせるよりも、
上手にチョロチョロさせることが大切です。
落ち着きがないと嘆く必要はありません。
元気で男らしいと安心すべきです。
男の子をしっかりした子どもにしたければ、
まず充分の遊びの経験をつませること・・・これに尽きると思います。
受験勉強はその後です。
なるほどね~これがわかっているだけで、
ししうまのチョロチョロにも寛大になれるわ。
何でもかんでも落ち着けというわけではなく、
チョロチョロしてもいいときには充分にさせてあげることが大事なのかもな。
家庭教師の経験上、
トイレが尿くさくて汚い家の子どもはしっかりしていないことがほとんどです。
これは失敗したときに吹かせることを徹底しないからです。
男の責任のもとはこれです。
このことは正しいチョロチョロの使い方につながる大事なことなので、
できるようになるまでしつこく注意し続けることが必要です。
お父さんにも見本を見せてもらいます。
最近トイレを汚さないために
男の子を便座に座らせて用を足させるしつけをするご家庭があるようですが、
言語道断です。
何でも親の都合のいいように形を変えちゃうのはまずいんだな。
汚したら拭く。
ししうまにも教えなくちゃ。
さてやがてチョロチョロが看板だった子どもたちも、
12歳、14歳と年を重ね、陰毛も生えて性器に別の働きがあることを知るようになると、
自然とチョロチョロを停止します。
充分にチョロチョロし終わった男の子たちは飽くことなく努力をすることができます。
しかも自分から勉強し始めることが多いのでうるさく言う必要がありません。
遊びきった感覚を持った子どもたちはどこへ通わせても成績が急上昇するものです。
男の子って、確かに急に成績上がるよなあ。
女の子にはこの急上昇はない。
なるほどなあ。。。。
しかし。。。。。どうなんでしょうか???
男の人が読むと、なるほど納得!なのかなあ。
ごつパパは「わかる、わかる」って言ってましたけど。
ともあれなかなか画期的でした。
学校関係者の女性には是非読んでもらいたいです。オススメです。
この本には女の子版もあります。
私的には女の子版はイマイチ。。。
終始「感受性を大事に」と言ってばかりの気がします。
「かわいいと言われて育った女の子は勉強ができる」とかは、
納得できましたが。
やっぱり著者は男の人なので、
女の事はあまりわかっていないのかも。。。
これは私の感想なので、
興味がある人は是非読んでみてくださいね。
画像をクリックすると中味が見られます。
目次だけでも見られますので、見てみるといいと思います。
オチンチン力のことを要約しますね。

要約
男の子はおしっこするとき、それをどこへ向かってするかという判断をします。
同時に自らの手でそれを支えて出したい方向に確実に用を足そうとします。
ここには意志が働きます。
おしっこは男の子の自己コントロールの根本なのです。
ということは、便器を汚さずに確実におしっこできるようになった子どもは
しっかりしやすいということになります。
さて、「風もないのに・・・」と申しますが、オチンチンはいつもプラプラしています。
このことからか、男の子は無意識的に気が散りやすいという特性を持ちます。
男の子はチョロチョロします。際限なくチョロチョロします。
私はこのチョロチョロこそが男の子のもっとも大切な能力だと思うのです。
私はこれを「オチンチン力」と呼びます。
オチンチン力はオモロイことを求め探し、見つけます。
またその過程で信じられないような発展的アイデアをもたらします。
オチンチン力は男性の創造性の全ての源なのです。
オチンチン力があるから男はオモロイことを思いつくのです。
そしてオチンチンがあるからこそ絶えず気が散って無意味なことを繰り返すのです。
男の子を育てるにはチョロチョロするのをやめさせるよりも、
上手にチョロチョロさせることが大切です。
落ち着きがないと嘆く必要はありません。
元気で男らしいと安心すべきです。
男の子をしっかりした子どもにしたければ、
まず充分の遊びの経験をつませること・・・これに尽きると思います。
受験勉強はその後です。
なるほどね~これがわかっているだけで、
ししうまのチョロチョロにも寛大になれるわ。

何でもかんでも落ち着けというわけではなく、
チョロチョロしてもいいときには充分にさせてあげることが大事なのかもな。

家庭教師の経験上、
トイレが尿くさくて汚い家の子どもはしっかりしていないことがほとんどです。
これは失敗したときに吹かせることを徹底しないからです。
男の責任のもとはこれです。
このことは正しいチョロチョロの使い方につながる大事なことなので、
できるようになるまでしつこく注意し続けることが必要です。
お父さんにも見本を見せてもらいます。
最近トイレを汚さないために
男の子を便座に座らせて用を足させるしつけをするご家庭があるようですが、
言語道断です。
何でも親の都合のいいように形を変えちゃうのはまずいんだな。
汚したら拭く。
ししうまにも教えなくちゃ。

さてやがてチョロチョロが看板だった子どもたちも、
12歳、14歳と年を重ね、陰毛も生えて性器に別の働きがあることを知るようになると、
自然とチョロチョロを停止します。
充分にチョロチョロし終わった男の子たちは飽くことなく努力をすることができます。
しかも自分から勉強し始めることが多いのでうるさく言う必要がありません。
遊びきった感覚を持った子どもたちはどこへ通わせても成績が急上昇するものです。
男の子って、確かに急に成績上がるよなあ。
女の子にはこの急上昇はない。
なるほどなあ。。。。
しかし。。。。。どうなんでしょうか???
男の人が読むと、なるほど納得!なのかなあ。

ごつパパは「わかる、わかる」って言ってましたけど。
ともあれなかなか画期的でした。
学校関係者の女性には是非読んでもらいたいです。オススメです。
この本には女の子版もあります。
私的には女の子版はイマイチ。。。

終始「感受性を大事に」と言ってばかりの気がします。
「かわいいと言われて育った女の子は勉強ができる」とかは、
納得できましたが。
やっぱり著者は男の人なので、
女の事はあまりわかっていないのかも。。。
これは私の感想なので、
興味がある人は是非読んでみてくださいね。
画像をクリックすると中味が見られます。
目次だけでも見られますので、見てみるといいと思います。

男の子の育て方
2008年01月28日
この本は結構書店に並べられていたのでご存知の方も多いのではないでしょうか。
母親が異性である男の子を育てるのって結構難しい。

悩むこともありますよね。
この本はその脳の違いというか、異性だからこその溝を埋めようとしてくれる本です。
読んでいて、結構納得。
読みやすくて面白いです。

この本の著者、松永暢史さんは、「教育環境設定コンサルタント」です。
簡単に言うと受験のプロです。

要約
男の子の指導を長年担当してつくづく思うことは
男の子は小さな遊びが十分であればあるほど、
勉強ができやすいという事実です。
また歴史上の政治家、科学者、芸術を見れば
どの人も子どものときに
十分な遊び体験を重ねた人たちばかりであることがすぐわかります。
これを裏返せば「男の子はよく遊んでいればいるほど成功しやすい」
という心理に直面します。
ただしここでの遊びは実体験の伴う遊び、
テレビやテレビゲームのことではありません。
このことを更に表返すと、
「男は単に仕事ができるだけでは足りない。
同時にオモロイ男でなければ結婚相手に選ばれない可能性が高い」
というとんでもない未来現実が現れます。
そうなのよね~
男はやっぱり面白くなくちゃ。
一緒にいてワクワクするようなことをしてくれる人って魅力的だわ。

やっぱり遊びが重要なんだ。
どの人の話しをとっても「遊び」の重要性にぶつかる。
ししうま。。。うちに帰ってきたらそんなに遊んでないな~
おもちゃはたくさんあるんだけど、
人と関わって遊びたいみたい。
もっと遊び相手にならないとな。

そこで注目すべきなのが「オチンチン力」です。
オチンチン力とは、簡単に言えば、
男の子のちょろちょろする能力のことです。
余計なことをする力、とんでもないことを思いつく力、
普通母親や女の先生なら、
「落ち着きがない」「目立ちたがり」と見なしていると思います。
しかしオチンチン力こそが
男の自主性、自立性、創造性、知性、行動力の源なのです。
最近の男子の精彩(生き生き元気なさま)のなさ。
多くの女の人が実感していると思います。
しかしそれはそもそも彼らがそうあったからではなく、
彼らがそうされたからそうなってしまっているのです。
社会を守るのはマジメな男たちですが、
未来を作るのはオモロイ男たちです。
一瞬耳を疑いたくなる。は???オチンチン力??
でも確かに男子の精彩のなさは実感していますね。
学校でも学級委員は女子がなりたがって、男子は手をあげないとか、
よく聞きます。
未来を作るのはオモロイ男たち・・・これはナットク!!

他にも受験のプロらしい学習力を上げるための話などがたくさん載っています。
性の問題など思春期の男の子との付き合い方も載っています。
面白いなあと思ったところを要約しますね。
要約
男の子は「理屈」で納得させよう。
物事の理由は知らなくても体感的に知っているのが女性。
どんなときでも「なぜなんだろう」と考えるのが男の子です。
お母さんが料理をしていて、「絶対に触らないでね」と言われた時、
「あ、触っちゃダメなのね」というのが女の子。
男の子は「なんで?」とまず考えます。
シュークリームを作るとき、オーブンを途中で開けてしまうと
膨らみかけた生地がたちまちしぼんでしまいますよね。
お母さんが真剣な表情でオーブンとにらめっこしていたとき、
「これは近寄らない方がいいな」と直感で感じ取るのが女の子。
思わずオーブンを開けてしまうのが男の子です。
こんなときつい「何やってんの!何でおとなしくしていられないの!」
と感情的にしかりつけてしまいます。
女の子なら感情をぶつけられても「まずいことした」と骨身にしみてくれますが、
男の子は「何でお母さんは怒っているんだろう」「僕が何をしたというんだろう」
と思うだけ。
男の子には「理屈っぽく言う」ことに尽きます。
「お母さんが怒った=それはしてはいけないことだった」
とつながらないのが男の子だと思ってください。
なるほど~どんなに感情的に言っても響いてないのか。
なんて無駄なことをしてるんだろう。
一度はやってみないと気がすまないのが男の子。
失敗して体で覚えないと理解しないんだそうです。
友達の子が、きょうだいで男の子2人なんですが、
うちに来た時ウォシュレットのボタンを押してビチョビチョになったんですよね。
「ごめんなさい」って私に言いに来たけど、ニヤニヤニヤニヤ・・・

ママ友は怒り心頭だったけど、
男はやってみないと気がすまないんだってことが納得できた事件でした。
そういうことがわかると、自分にも余裕ができて、
その事件が笑えて笑えて。

女親にはわからない男の子のことが満載です。

「本格的な勉強は14歳以降でよい」
「外出時にヘッドフォンステレオをつける子は勉強できない」
「家事を手伝わせると学習効率が上がる」
「キャンプをさせよ」
「ゲーム(テレビゲームではない。アナログの)をさせよう」
「反省しない親は開き直る子どもを作る」
・・・・などなど。
図書館にもおいてあると思いますので是非読んでみて下さい。
明日はオチンチン力についてもう少し要約したいと思います。
自由を与えて育てたいこと
2008年01月18日
自由を履き違えずに
子どもに自由をどうやって与えていったらいいんだろうか、
どうやったら自分の幸せや所属する集団の幸せのために
意欲や主体性を使う子どもに育てていくのか、
それを岩城先生の本から教えてもらいたいと思います。
要約
昔世間が個人の自由を押さえていた時代は
「世間が笑う」とか「世間が許さない」という言葉を多用しました。
今の子どもたちの時代には、もうこの「世間」という怪獣がいないでしょう。
自由に自分の感じ方考え方を尊重して生きていけるはずです。
ところがAかBかを選ぶときに「世間」という怪獣は手伝ってはくれません。
まわりの人間に聞いても「私はこう思う。私の意見だけれどね」と言われてしまいます。
自分で決めないといけないことがたくさんあるのです。
これが自由な時代です。
なるほど。確かに世間ということばは使わない。
「みんなに笑われるよ」くらいは言うけど、
「世間が許さない」なんて言葉はほとんど死語かも。
「そんなの私の自由じゃん。私の勝手でしょう。」って言われるだろうし、
自分自身、「人それぞれだから」とか、
自分で選択するのは自由だし~とか思っているし。
Aを選ぶとAの最善と最悪が待っているでしょうし、
Bを選んだらBの最善と最悪が待っているかもしれません。
自由を使って自分で選ぶと
その結果を引き受けなければいけません。
自由を使うとその結果の責任を負うことがもれなく付いてくるのです。
たくさんの自由を使うということは
たくさんの責任がついてくるということです。
日々の小さな選択から、仕事の選択、パートナーの選択、
社会の選択、老後の選択、生き方の選択・・・
自由を与えて育てたい事柄のもうひとつはたくさんの責任が負えることです。
自由の量は責任の負える量と比例するからです。
そしてどんな責任を負ったらよいかというと、
自分の幸せと自分の所属する集団や社会の幸せの一端です。
自分がこの世で幸せになるために自分のできることは何かを
自分で感じて考えて行動が取れる大人になることです。
この部分がいまいちよくわからない。
漠然としていて。
私たちは「責任」という言葉の中に、
「不結果や失敗に基づく、損失や制裁」という意味合いを強く感じてしまいます。
つまり日本に根強く残る「腹切り」の思想です。
だから会社が問題を起こすとそのトップがやめれば良いという風になる。
外国では例えばチョコレートに異物が混入していた場合、
トップが辞めるのではなく、
そのトップが「いかに迅速にそれに対応したか」が「責任」になります。
トップのせいにして制裁を加えるのではなく、
その「対処」の仕方が評価されます。
野田先生の本にも本当の責任のとり方は「腹切り」ではないと書いてあります。
アドラー心理学で責任というのは
「仕事がある、私にすべきことがある」という意味合いで使うそうです。
英語では「レスポンシビリティ」と言いますが、これは、
「反応する能力」というような意味合いだそうです。
つまりAを選んだ場合にもれなくAの最悪があったとしても、
それに対処する力(=責任)が必要になるということか。
少し明確になってきました。
大人になるということはたくさんの責任が負えるということでもあるのです。
たくさんの責任が終えないのが子どもです。
だからたくさんの自由を任すわけにはいかないのです。
少しずつたくさんの自由を使いこなせるように、
またたくさんの責任が負えるように、
大人は援助と指導をしていかなければなりません。
大人は子どもに使いこなせない自由を与えてもいけないのです。
たくさんの自由を使いこなせるように、
子どもがどれだけ育ったかを見守りながら、
少しずつ自由を広げてあげて欲しいのです。
ところが子どもの主体性を尊重する名目で、
子どもが使いこなせない自由や負えない責任を負わされることがたくさんあるように思います。
言葉が話せない小さな子どものケンカを子どものせいにして、
「何で人を叩くの!ダメでしょ!」
公共の場で人に迷惑をかける子どもが放し飼い状態で
「お店の人が怒っているからやめなさい!」とか。
「全てあなたが悪い」ではなく、
「どうしたらいいのか」
「どうして欲しいのか」という代替案やアドバイスもないままでは辛いです。
自由を与えて子どもはいっぱい失敗しますが、
その失敗や体験を勝てにできるように大人が手伝ってあげて欲しいものです。
「子どもに任せる」と以前書きましたが、
(詳しくは・・・http://nuramama.jimab.net/e3199.html)
子どもが失敗しない状態になって初めて自由、つまり任せられるということなんですね。
ししうまがお風呂上りに暑いからパジャマを着ないことは「子どもの問題」だけど、
(詳しくは・・・http://nuramama.jimab.net/e3152.html)
パジャマを着ない「自由」を与えて
風邪をひく「失敗」をするということは、
その「責任」を負えていないということだから、
「私メッセージ、意見ことば」(詳しくは・・・http://nuramama.jimab.net/e3124.html)
で手伝ってもいいわけだ。
そしてその失敗をしなくなるようになったら
自由を与える。つまり子どもに任せる。
なるほど納得。
最近やりたがるインターネットのゲームも、
時計も読めないししうまに任せるのではなく、
やっぱりルールを作って、
いつか彼自身が、そのルールを守って、
仮に夜更かしをしたとしても、
次の日には自分で起きてくる事ができるようになったら「自由」。
あ~よくわかった。
それができないうちは
子どもの手助けをして、少しずつ自由を与えていけばいいんだ。
そのためには子どもをよく見て、
今どのくらいの自由が使いこなせているかどうかのチェックをしないといけないなあ。
名指しで申し訳ないですが、
以前文ちゃんさんからコメントいただいて、
(子どもにゲームをする時間を任せるとか校区外に出るとか
http://nuramama.jimab.net/e3347.html)
私もそういった場合にも子どもに即、任せるのか、どうすべきなのかと思いましたが、
子どもに力が付けば子どもにお任せすればいいということなんですね。
そして親は早い段階からその力が付くように努力をしていく責任があるということです。
あ~納得。
今日は納得だったなあ・・・(って私だけ???)
子どもに自由をどうやって与えていったらいいんだろうか、
どうやったら自分の幸せや所属する集団の幸せのために
意欲や主体性を使う子どもに育てていくのか、
それを岩城先生の本から教えてもらいたいと思います。
要約
昔世間が個人の自由を押さえていた時代は
「世間が笑う」とか「世間が許さない」という言葉を多用しました。
今の子どもたちの時代には、もうこの「世間」という怪獣がいないでしょう。
自由に自分の感じ方考え方を尊重して生きていけるはずです。
ところがAかBかを選ぶときに「世間」という怪獣は手伝ってはくれません。
まわりの人間に聞いても「私はこう思う。私の意見だけれどね」と言われてしまいます。
自分で決めないといけないことがたくさんあるのです。
これが自由な時代です。
なるほど。確かに世間ということばは使わない。
「みんなに笑われるよ」くらいは言うけど、
「世間が許さない」なんて言葉はほとんど死語かも。
「そんなの私の自由じゃん。私の勝手でしょう。」って言われるだろうし、
自分自身、「人それぞれだから」とか、
自分で選択するのは自由だし~とか思っているし。

Aを選ぶとAの最善と最悪が待っているでしょうし、
Bを選んだらBの最善と最悪が待っているかもしれません。
自由を使って自分で選ぶと
その結果を引き受けなければいけません。
自由を使うとその結果の責任を負うことがもれなく付いてくるのです。
たくさんの自由を使うということは
たくさんの責任がついてくるということです。
日々の小さな選択から、仕事の選択、パートナーの選択、
社会の選択、老後の選択、生き方の選択・・・
自由を与えて育てたい事柄のもうひとつはたくさんの責任が負えることです。
自由の量は責任の負える量と比例するからです。
そしてどんな責任を負ったらよいかというと、
自分の幸せと自分の所属する集団や社会の幸せの一端です。
自分がこの世で幸せになるために自分のできることは何かを
自分で感じて考えて行動が取れる大人になることです。
この部分がいまいちよくわからない。

漠然としていて。
私たちは「責任」という言葉の中に、
「不結果や失敗に基づく、損失や制裁」という意味合いを強く感じてしまいます。
つまり日本に根強く残る「腹切り」の思想です。
だから会社が問題を起こすとそのトップがやめれば良いという風になる。
外国では例えばチョコレートに異物が混入していた場合、
トップが辞めるのではなく、
そのトップが「いかに迅速にそれに対応したか」が「責任」になります。
トップのせいにして制裁を加えるのではなく、
その「対処」の仕方が評価されます。
野田先生の本にも本当の責任のとり方は「腹切り」ではないと書いてあります。
アドラー心理学で責任というのは
「仕事がある、私にすべきことがある」という意味合いで使うそうです。
英語では「レスポンシビリティ」と言いますが、これは、
「反応する能力」というような意味合いだそうです。
つまりAを選んだ場合にもれなくAの最悪があったとしても、
それに対処する力(=責任)が必要になるということか。
少し明確になってきました。

大人になるということはたくさんの責任が負えるということでもあるのです。
たくさんの責任が終えないのが子どもです。
だからたくさんの自由を任すわけにはいかないのです。
少しずつたくさんの自由を使いこなせるように、
またたくさんの責任が負えるように、
大人は援助と指導をしていかなければなりません。
大人は子どもに使いこなせない自由を与えてもいけないのです。
たくさんの自由を使いこなせるように、
子どもがどれだけ育ったかを見守りながら、
少しずつ自由を広げてあげて欲しいのです。
ところが子どもの主体性を尊重する名目で、
子どもが使いこなせない自由や負えない責任を負わされることがたくさんあるように思います。
言葉が話せない小さな子どものケンカを子どものせいにして、
「何で人を叩くの!ダメでしょ!」
公共の場で人に迷惑をかける子どもが放し飼い状態で
「お店の人が怒っているからやめなさい!」とか。
「全てあなたが悪い」ではなく、
「どうしたらいいのか」
「どうして欲しいのか」という代替案やアドバイスもないままでは辛いです。
自由を与えて子どもはいっぱい失敗しますが、
その失敗や体験を勝てにできるように大人が手伝ってあげて欲しいものです。
「子どもに任せる」と以前書きましたが、
(詳しくは・・・http://nuramama.jimab.net/e3199.html)
子どもが失敗しない状態になって初めて自由、つまり任せられるということなんですね。
ししうまがお風呂上りに暑いからパジャマを着ないことは「子どもの問題」だけど、
(詳しくは・・・http://nuramama.jimab.net/e3152.html)
パジャマを着ない「自由」を与えて
風邪をひく「失敗」をするということは、
その「責任」を負えていないということだから、
「私メッセージ、意見ことば」(詳しくは・・・http://nuramama.jimab.net/e3124.html)
で手伝ってもいいわけだ。

そしてその失敗をしなくなるようになったら
自由を与える。つまり子どもに任せる。
なるほど納得。
最近やりたがるインターネットのゲームも、
時計も読めないししうまに任せるのではなく、
やっぱりルールを作って、
いつか彼自身が、そのルールを守って、
仮に夜更かしをしたとしても、
次の日には自分で起きてくる事ができるようになったら「自由」。
あ~よくわかった。
それができないうちは
子どもの手助けをして、少しずつ自由を与えていけばいいんだ。
そのためには子どもをよく見て、
今どのくらいの自由が使いこなせているかどうかのチェックをしないといけないなあ。
名指しで申し訳ないですが、
以前文ちゃんさんからコメントいただいて、
(子どもにゲームをする時間を任せるとか校区外に出るとか
http://nuramama.jimab.net/e3347.html)
私もそういった場合にも子どもに即、任せるのか、どうすべきなのかと思いましたが、
子どもに力が付けば子どもにお任せすればいいということなんですね。

そして親は早い段階からその力が付くように努力をしていく責任があるということです。
あ~納得。

今日は納得だったなあ・・・(って私だけ???)
何しても自由なの?
2008年01月17日
岩城先生の本「続・子育てのコツ」には副題が付いています。
その副題が「上手な自由の与え方」です。
以前「人との関わり方」のところで
機械と付き合う時間が多くなって、
人とのかかわりが弱くなった子どもたちのことを書きました。
岩城先生は、人との関わり方が弱くなった上に、
今の子どもたちは生まれながらにして「自由と平等」の社会にいることが
厄介で、近年のいじめや少年事件を生んでいる状況だと思っていらっしゃいます。
自由と平等が、いじめを生んでいる???
いまいちよくわからない・・・
この部分がこの本の中で一番難しいところです。
そして大事なところだと思います。
要約します。
日本人は長い間みんなと一緒が大好きでした。
だから教育も集団で子どもを育てることを大事にしてきました。
同じ制服、同じ髪型、同じ場所で同じことを学ぶ授業。
そして就職のときは同じリクルートスーツ。
みんなと違うことをする子は変な子でした。
自分の意見をはっきり持っている子どもは
個性の強い、集団では育てにくい子と扱われました。
集団生活ではわがままは通らないぞと忍耐と服従を教えました。
このような価値観は今も私たちのどこかに残っているようです。
その結果たくさんの指示待ち人間を生み出し、
主体性のない、意欲のない、
人前でなるべく意見の言わない人材を社会に送り出してきたように思います。
同じような教育を受けながらも意欲的に育った昔の子どもは、
教育の中で「指示に従うこと」「みんなと一緒」を学びながら
放課後に自由に遊んで発見することで、
バランスが何とか取れていたのでしょう。
ところが、近年子どもの生活は変わり、
外で自由に遊ぶ時間が減り、
機械が出す指示に従って遊ぶ遊びが増えました。
遊びが不足して、みんなと一緒が強要されてくると、
指示待ち人間が増えてきたのではないでしょうか。
なるほど。納得。
自分たちの時代も含めて、
確かに教育は前にならえの教育だったと思います。
はみ出すことは悪いことと教えられたよなあ。。。
逆に言うと年配の方よりも
協調性は大事にしますね。
みんなで楽しくやることにはみんなが気を使う世代のような気がします。
指示待ち人間が増えて社会は困りました。
その反省に基づいて、「子どもを自由にのびのび遊ばせよう!」
という流行になりました。
国の方針も変わり、自由保育という言葉も流行りました。
しかしこの「自由」という言葉が厄介だったように思います。
自由を与えて育てたいことは単なる意欲と主体性ではありません。
その意欲を使ってハッカーをされても困りますし、
主体的にストーカーされても困るのです。
自分の人生の幸せのために使って欲しいし、
自分が所属する集団の幸せのために使って欲しいと思うのです。
自由を子どもに与えて育てたいことは決して
好きなことをして意欲と主体性を育てることだけではありません。
しかし子どもに自由を与えて意欲と主体性の育ちしか考えなかったために、
子どもたちは結果としてやったもん勝ちというルールを学んだり、
力がクラスを支配するんだということを学んだりしたようです。
その結果が学級崩壊であったり、
「私1人ぐらいが何を言っても世の中(クラス)は変わらない」
という民主主義をあきらめてしまっている状態です。
自由を与えることによって何を育てたいのかを大人がはっきりとイメージしておかないと、
適切な援助と指導ができません。
自由を与えて、適切な援助と指導がない状態を「放任」といいます。
つまりわがままや好き勝手を自由だと履き違えているということです。
これが「いじめ」の「少年犯罪」に「自由と平等」の社会が関わっているという事か。
自由だから、意欲的にいじめるのも「自由」?
主体的に少年犯罪を起こすのも「自由」?
それに対して、見て見ぬふりをするのも、「自由」?
あきらめるのも「自由」?
そんな子どもにはしたくないよなあ。。。

友人の幼稚園教諭が、新任の頃、
ランチルームで給食を食べている園児が、片付けもしないまま、
遊びに行こうとしていたので注意を促していると、
そこの園長先生が、「遊びの流れを止めちゃダメでしょ」といって、
片付けをさせないまま遊びに行かせたそうです。

これは「自由」なの??
やっぱり何度思い出しても、履き違えていると思う。
でもトップの園長先生がこういった教育をしているわけで・・・・

そんなことだから小学校1年の子どもがじっとできない、
座れない、いわゆる小1プロブレムの問題が起こるんだろうなあ。
ここでアドラー心理学の「子どもに任せる」というお話をしましたが、
野田先生も決して「放任」ではいけないとおっしゃっています。
私たちはどうやって子どもに任せたい「自由」に対して援助、指導していけばいいんでしょうか。
明日はそれについて考えてみようと思います。
子どもの生活リズム
2008年01月14日
昨日は三重県桑名市にある「なばなの里」に行ってきました。
イルミネーションがものすごいというので夜に見に行きます。

家を出たのは夕方の4時。
家からは車で1時間弱のところです。

昨日はとにかく寒かった。
夜は風がぴゅ~ぴゅ~。
全員ダウンジャケットを着込んで、マフラー、手袋をはめて、
もこもこ状態で行きました。
予定としては、先にどこかでご飯を食べて、(園内は高いので)
キラキライルミネーションを見て、

最後に園内の温泉に入って帰るつもりです。
そうすれば子どもたちは車の中で寝てくれるかな?
夜だというのにすごい人!!!
観光バスが何台も入っていきます。

そして中のイルミネーションはすごい!!!
発光ダイオードありがとう!という感じです。
キラキラキラキラ美しい~

こんなイルミネーションは見たことない!
でもさむ~~~~い!!!
顔に当たる風が極寒!!
更に奥に進むと光のトンネルが・・・・

これは・・・・すごすぎる!
あ~ボキャブラリー不足で伝えられないのが残念です。
そして、光の銀河。

青い光の中に、きらきらの天の川?
じっと見ていると流れ星が光ります。
何度も写真を撮ったんだけど・・・うまく写りません。。。
こっとんはキラキラに向かってなぜかずっと手を振り続けていました。
ししうまも良く歩いた。
あ~それにしても寒い。
そこで向かった先は、園内にある温泉施設。「里の湯」。

1500円!!!
高すぎる!

でもとてもキレイで、梅茶や麦茶はサービス。
お風呂も露天もサービスが行き届いていてとてもよかったです。
温泉はやっぱりぽかぽかさが違う。
駐車場までかなり遠かったんだけれども、
ぽかぽかぽかぽか・・・

寒さをあまり感じずに車の中へ。
案の定車の中で子どもたちは寝てくれて、

そのままベッドへ。
あ~楽ちん。

私が子どものことで一番気を使っているのが生活リズムです。
朝早く起きて朝食を食べ、昼寝をして、夜は8時には寝かせます。

朝早起きできない子は後々大変だろうな・・・というのもありましたし、
自分が早寝早起きタイプということもありますし、
何よりもリズムが崩れるとどうもうちは風邪をひきやすいようです。
そんなわけでこれだけは気を使って、
遅くても9時までには寝る生活をしています。

この本はその生活リズムについて書いてあります。
科学的に早寝早起きのリズムの重要性を書いてあったり、
「キレる子ども」と遊びお手伝いの関係。
「いい子」が攻撃性が高いこと。
絵本やわらべ歌のことなど興味深い内容でいっぱいです。
その中でも著者は生活リズムの中にアクセントが必要だといっています。
要約
「生活リズムの確立」はその名が示すとおりリズム(規則性)の確立であるが、
それだけでは十分といえない。
生活の中に発達的矛盾を組織するために、リズムとともにアクセントを必要とする。
毎日の生活の中にもアクセントが存在するが、
発達的矛盾となりうる大きなアクセントは、
正月や秋祭りなど四季の行事や運動会や遠足、旅行などに参加することである。
こうした行事の時は生活のリズムが通常とは大きく異なり、
夜もかなり遅くまで起きていることになる。
しかしこれがアクセントとなり、子どもの内面に発達的矛盾が組織され、
それがエネルギー源となって発達を高めるように作用する。
当然のこととして毎日の生活リズムが十分に確立されていて始めて
精神発達につながるアクセントになりうるという点は強調されなければならない。
むずかし~!

要は、たまには夜更かしする行事などを経験させると、
子どもの心は豊かになるということです。
ししうまは先日の大晦日に
「今日は遅くまで起きていていいんだよ。大人みたいにね。」というと、
とても喜んで、夜更かしを楽しんでいました。
今回の夜のイルミネーションのお出かけもそう。
子どもにとって夜
ってなんだかワクワクするものなのかな?そしてこういったときは、不思議と体調が崩れないんだよね~
コミュニケーション能力
2008年01月13日
この本は中学受験で、
難関校に合格した子どもの家の間取りや部屋の様子などを記した本です。

この著者は住宅コンサルタントなのですが、
中学受験をするような子どもの家を6年間かけて200件近く調査したそうです。
中学受験をする子どもの家はさぞ個室が立派で、
ぴりぴりした雰囲気の家なんだろうと思っていたのが払拭されたといいます。
その大半は子ども部屋では勉強しておらず、
家族の雰囲気もとてもよかった。

ではどこで勉強していたかというと、
ダイニングテーブルやリビングなど、
家族がいる場所で勉強していたということがわかったんです。
もちろん個室の子もいるんですが、
そういった子もドアを開けて、お母さんがそこで家事を持ち込んでいたりするわけです。
つまりこういった子どもは、
家族の声を聞きながら、お母さんの家事をする音を聞きながら、
兄弟と話をしたりしながら、
十分に家族とコミュニケーションをとっているということがわかったんです。

この著者が言いたいことは
中学受験に突破するにはこんな家!というのではなく、
コミュニケーションが十分に取れる家こそがいい家なんだということです。

そのために家を作り変えるわけではありません。
紹介されている家もいろいろな家です。

マンションだったり、古い民家だったり、立派な一戸建てだったりするわけです。

「頭のよい子」というと、「頭のよい子=受験を突破した子」ではないんじゃないかと
誤解を生みそうですが、誤解とは言い切れない部分があると思います。
それは私が身を持って体験しているからです。
実は私は中学受験組で、地元の国立(くにたちではない。こくりつ)の中学校に入学しました。
それはもう日曜日も朝から晩まで塾に行っていて、
かなり勉強しました。
多分一番勉強した頃なのかもしれないです。
そして晴れて合格したのですが・・・・
そこからは挫折だらけの転落人生です・・

勉強で一番大事なのはモチベーションをどれだけ上げるかにかかっています。
私はそのやる気を中学受験で使い果たしてしまった。
あの頃は湧き出るように湧いてきたやる気。
その泉は枯れてしまった。
高校受験のときも大学受験のときも。
甘え、言い訳といわれても仕方がないんですが、
ともかく自分が一番悩んだのが、自分のやる気というか生気というか、
それのなさです。

でも世の中にはそのモチベーションが枯れない人がいるんです。
それが国立の中学校で出会った人たちです。
国立の中学校の授業はそれはそれはすばらしかった。
面白かったです。先生もとてもすばらしい先生たちばかりでした。

学友も普通の中学校では5人以下しか入れない県下1番の高校に
半数が合格します。
もちろん大学も、東大から京大、九州大、医学部関係はとても多い。
そんな人たちは雲の上の人たちで、
お友達とはもう呼べませんが・・・

そういった人たちに囲まれていたんですが、
彼らは、学力が高いだけではない。
とにかく雑学豊富、運動もできるし、リーダーシップもある。
楽器もできて歌もうまい子もいました。
友達も多く、
そして努力家。
テスト前には夜中の2時3時まで勉強していたようです。
11時くらいには寝る私とは大違い。。。ハイ
努力不足です。死刑とは何かということをしゃべっていたり、
マジックがとてもうまかったり、
とにかく個性的。
彼らはいつも生気にあふれ、楽しそうに生活していました。
こういう人が、本当に「頭がいい」というんだろうな。
「生きる力」も「生み出す力」もある、
何よりも楽しんで生活をしている。
とても魅力的な人が多かった。

もちろん学力だけの人もいます。
そういう人は「頭がいい」とは言わないと思います。
そして私のような凡人組もいました。。。
早期教育を進める会社の人がうちに訪問販売しに来たとき、
「ある一定のラインまで発達する子どもと、
そのラインがなくいつまでも発達し続ける子がいます」と言っていたのは、
納得でした。
そのラインのない子を自分が見てきたからです。
さてコミュニケーション能力ですが、
昨日、おとといの話と引き続いて、やっぱり大事なんだな。。。
と実感しています。
親の私がコミュニケーションを機械任せにしていないか。
考えてしまいます。
この本の中で、
子どもをテーマパークや公園に連れて行っても結局は飽きるので
別荘を山の中に立ててしまったお父さんが出てきます。
毎週末別荘に行って、
お父さんと釣りやスキーをして、
ついには山の中のガイドができるくらい詳しくなった。

ステキ~

いいなあ~
そんなの理想だなあ・・・
ごつパパ~別荘買って!!!
でも自分たちがカウンセラーとしてやってきたキャンプ。。。

もう一度見直してみようかな。
まだ子どもが小さいからテントはちょっと・・・と思っていたけど、
コミュニケーションとるには最高かもしれない。
毎週末となると・・・面倒だなあ・・・
やっぱり、別荘買って~
「また言ってるの?」
とごつパパに言われた・・・・
遊んで学んだこと
2008年01月12日
昨日のコメント読ませていただいても
結構皆さん幸せな子ども時代をすごしていらっしゃるのがよくわかりました。
すごくいい遊び方をしていますね。
うらやましいです。
私は実は子どもの頃のことって結構コンプレックスで、
あまり良い思い出がありません。
都会の学童保育はくせもので、
児童館の上にあったと思うんですが、
外で遊べない。
遊ぶんであれば、
ちょっと広いベランダとか、
屋上とか。
一番外で遊ぶべきときに遊んでいないので、
外遊びが苦手で。
転校してからは田んぼの真ん中の田舎の学校だったので、
外遊びをしないことを先生にかなり非難されたと思います。
学童は異年齢集団ですが、
優しい遊び方をする子なんていなかった。
いつも下の子が馬鹿にされたり、
いじめられたり。
人とかかわる力がそれぞれ弱かったんだと思います。
昨日の続きを要約します。
日が暮れてくると、寂しくなってきます。
おなかも減って普通の子は帰りたくなるのです。
「オレ帰る」と言ったら、
ガキ大将が、「あかん。帰ったら」と言うのです。
なぜかというと、その子は家に帰ったら、
家が針のむしろなわけです。
家に帰ったらろくなことがないのです。
さびしくなってくると何とか帰りたいし、
でもここで喧嘩別れしてしまったら、
また明日遊べないから子どもは考えるわけです。
どうしたらうまくスーッと帰れるかなと思ったときに子どもが考えたのは、
「あ!一番星見つけた!」と言うのです。
みんなが上を向いて話をそらしている間に
サーッサーッと帰っていくのです。
それとか、「カラスが泣くから帰ろう」とカラスのせいやかえるのせいにして、
スーッと帰っていくのが昔の子どもだったのです。
このようにして、昔の子どもは外で遊びながら、
自由と平等の社会を練習することができました。
遊ぶ中で様々なトラブルが起きましたが自分たちで解決してきました。
子どものトラブルを下手に大人に相談すると大変。
「そんな遊びをしとるんか!やめ!」とか、
「その子と遊ばんとき!」とか、
「その場所に行くな!」てな具合でやぶへびです。
だからどうしても自分たちで解決しなければならなかったのです。
いろんな子どもいろんな家庭の事情の子どもが昔もいました。
そこではいろんな事件が起きましたが、
「いい加減やめたれや」という大多数の子どもが育っていたので、
大きな事件になりませんでした。
でも現代はその中心となる大多数の子どもが育っていないのです。
事件が起きると、加害者の子どもの家庭の事情が話題になります。
でも昔から、いろんな家庭の事情の子どもがいたのです。
またいじめられる子どもにも性格的特徴が・・・といわれます。
放っておいてあげて欲しいと思います。
昔からいろんな性格の子どもがいたのです。
問題は「いい加減やめたれや」という大多数の子どもが育っていないことではないでしょうか。
一部の子どもがクラスを支配し運の悪い子どもが犠牲になる。
圧倒的多数の子どもたちが何も言わない。
無責任なサイレントマジョリティ。
自分だけが幸せになろうと思っているのかもしれません。
その価値観は子どもが考え付いたのでしょうか。
それとも大人が教えたのでしょうか。
昔の子どもは外で幸せに遊んですごすために様々なルールを作ってきました。
トラブルもあったけど、明日またこのメンバーと楽しく遊ぶためには
どうしたらよいのかを考えるチャンスがいっぱいありました。
やりすぎてはいけないこと、
二つのチームに分かれる時には、互角の勝負になるように分かれたほうが楽しいこと。
勝つためにズルをするといけないこと。
トラブルがあったときにはみんなが陪審員になって取り囲み、仲裁すること。
真剣勝負のときは厳しいこと。など・・・
昔の子どもは先輩にルールを教えてもらいながら、
どうしたら幸せに遊び続けることができるか考えて
集団で自治する練習をしていたのです。
だから子どものケンカに大人は口出ししなくて良かったのです。
現代の子どもは昔の子どもと比べて機械と向き合う時間が増えています。
見たいテレビ番組、ビデオ、テレビゲーム、ポケットサイズのゲーム、
コンピューター、インターネット・・・・
一日は24時間しかありませんから、機械と向き合う時間が増える分、
人と向かい合う時間は減っています。
そして昔の子どものように、日が暮れるまで外で遊ぶことはほとんどないのではないでしょうか。
小学校や幼稚園、保育園では集団で生活し、遊んではいますが、
関わって遊んでいるのと、そこにいてるだけは、区別して考えたいのです。
そう考えて子どもの遊ぶ姿を見ていると、
関わって遊ぶことが決して十分だと思えないのです。
家族も一つ屋根の下にいるけれど、どれだけ関わって暮らしているかを、
もう一度見ておいたほうがよさそうです。
子どもが大人の影響を素直に受けることのできる最初の10数年は
あっという間に過ぎてしまいます。
小学校の子どもと遊ぶときに、二つのチームに分かれてゲームをしようと提案し、
子どもたちがどのようにチーム分けをするか見ていると、
強そうな子どもが出てきて、「おい!だれそれ!こい!」と集め始めました。
見るとめちゃくちゃ強そうなチームと、
誰も声をかけてもらわなかった子どもたちのチームに分かれていました。
これでは100回勝負しても、結果は見えています。
こんなゲームは面白くないと思わないのでしょうか。
皆さんも近くの小学生に声をかけてチェックしてみてください。
こんな風に人と関わる力が弱くなっている子どもたちですが、
生まれてきた世の中が自由で平等の社会なのです。
これが厄介なのです。
私が経験した子ども時代の遊びはまさに
強いものが強いものを集めて結果が見えるゲームをしていました。
面白くもなんともない。
それがイヤで1人でふらふらしていたように思います。
昔は良かった。今は悪いといっているわけではないんです。
昔とは違う時代なのだから、
昔と同じ子育てをしていてもだめなんだと思います。
(詳しくは・・・http://nuramama.jimab.net/e2887.html)
またアドラー心理学の中で、「子どもに任せる」ことの大事さを書きました。
(詳しくは・・・http://nuramama.jimab.net/e3199.html)
でも、これは何でもかんでも子どもに任せて、
親が全く関わらないというわけではおそらくないと思います。
ルールも秩序もない遊び方をしている子どもに、
親としてではなく、大人としてでもなく、
対人間として、意見言葉で、伝えていく必要のある時代なのかもしれないなあ。
それに機械に任せる時間は減らさないとな~
テレビやビデオを見せていると子どもは静か。
そのうちに家事を・・・と思ってしまうけど。。。
これは考え直していかないといけないのかも。
友人で一週間で一日だけ、テレビを全く見ないデーを作っている子がいるけど、
それもいいよな。
全部が全部するのはしんどいから、
そうやってできる範囲でやるのはいいかも。
家族の会話が増えたって言っていたし。
私もやってみようかな~
まずは家族同士が関わって暮らしているかを考えてみようかな。
結構皆さん幸せな子ども時代をすごしていらっしゃるのがよくわかりました。
すごくいい遊び方をしていますね。
うらやましいです。

私は実は子どもの頃のことって結構コンプレックスで、
あまり良い思い出がありません。

都会の学童保育はくせもので、
児童館の上にあったと思うんですが、
外で遊べない。
遊ぶんであれば、
ちょっと広いベランダとか、
屋上とか。
一番外で遊ぶべきときに遊んでいないので、
外遊びが苦手で。
転校してからは田んぼの真ん中の田舎の学校だったので、
外遊びをしないことを先生にかなり非難されたと思います。
学童は異年齢集団ですが、
優しい遊び方をする子なんていなかった。
いつも下の子が馬鹿にされたり、
いじめられたり。
人とかかわる力がそれぞれ弱かったんだと思います。

昨日の続きを要約します。
日が暮れてくると、寂しくなってきます。
おなかも減って普通の子は帰りたくなるのです。
「オレ帰る」と言ったら、
ガキ大将が、「あかん。帰ったら」と言うのです。
なぜかというと、その子は家に帰ったら、
家が針のむしろなわけです。
家に帰ったらろくなことがないのです。
さびしくなってくると何とか帰りたいし、
でもここで喧嘩別れしてしまったら、
また明日遊べないから子どもは考えるわけです。
どうしたらうまくスーッと帰れるかなと思ったときに子どもが考えたのは、
「あ!一番星見つけた!」と言うのです。
みんなが上を向いて話をそらしている間に
サーッサーッと帰っていくのです。
それとか、「カラスが泣くから帰ろう」とカラスのせいやかえるのせいにして、
スーッと帰っていくのが昔の子どもだったのです。
このようにして、昔の子どもは外で遊びながら、
自由と平等の社会を練習することができました。
遊ぶ中で様々なトラブルが起きましたが自分たちで解決してきました。
子どものトラブルを下手に大人に相談すると大変。
「そんな遊びをしとるんか!やめ!」とか、
「その子と遊ばんとき!」とか、
「その場所に行くな!」てな具合でやぶへびです。
だからどうしても自分たちで解決しなければならなかったのです。
いろんな子どもいろんな家庭の事情の子どもが昔もいました。
そこではいろんな事件が起きましたが、
「いい加減やめたれや」という大多数の子どもが育っていたので、
大きな事件になりませんでした。
でも現代はその中心となる大多数の子どもが育っていないのです。
事件が起きると、加害者の子どもの家庭の事情が話題になります。
でも昔から、いろんな家庭の事情の子どもがいたのです。
またいじめられる子どもにも性格的特徴が・・・といわれます。
放っておいてあげて欲しいと思います。
昔からいろんな性格の子どもがいたのです。
問題は「いい加減やめたれや」という大多数の子どもが育っていないことではないでしょうか。
一部の子どもがクラスを支配し運の悪い子どもが犠牲になる。
圧倒的多数の子どもたちが何も言わない。
無責任なサイレントマジョリティ。
自分だけが幸せになろうと思っているのかもしれません。
その価値観は子どもが考え付いたのでしょうか。
それとも大人が教えたのでしょうか。
昔の子どもは外で幸せに遊んですごすために様々なルールを作ってきました。
トラブルもあったけど、明日またこのメンバーと楽しく遊ぶためには
どうしたらよいのかを考えるチャンスがいっぱいありました。
やりすぎてはいけないこと、
二つのチームに分かれる時には、互角の勝負になるように分かれたほうが楽しいこと。
勝つためにズルをするといけないこと。
トラブルがあったときにはみんなが陪審員になって取り囲み、仲裁すること。
真剣勝負のときは厳しいこと。など・・・
昔の子どもは先輩にルールを教えてもらいながら、
どうしたら幸せに遊び続けることができるか考えて
集団で自治する練習をしていたのです。
だから子どものケンカに大人は口出ししなくて良かったのです。
現代の子どもは昔の子どもと比べて機械と向き合う時間が増えています。
見たいテレビ番組、ビデオ、テレビゲーム、ポケットサイズのゲーム、
コンピューター、インターネット・・・・
一日は24時間しかありませんから、機械と向き合う時間が増える分、
人と向かい合う時間は減っています。
そして昔の子どものように、日が暮れるまで外で遊ぶことはほとんどないのではないでしょうか。
小学校や幼稚園、保育園では集団で生活し、遊んではいますが、
関わって遊んでいるのと、そこにいてるだけは、区別して考えたいのです。
そう考えて子どもの遊ぶ姿を見ていると、
関わって遊ぶことが決して十分だと思えないのです。
家族も一つ屋根の下にいるけれど、どれだけ関わって暮らしているかを、
もう一度見ておいたほうがよさそうです。
子どもが大人の影響を素直に受けることのできる最初の10数年は
あっという間に過ぎてしまいます。
小学校の子どもと遊ぶときに、二つのチームに分かれてゲームをしようと提案し、
子どもたちがどのようにチーム分けをするか見ていると、
強そうな子どもが出てきて、「おい!だれそれ!こい!」と集め始めました。
見るとめちゃくちゃ強そうなチームと、
誰も声をかけてもらわなかった子どもたちのチームに分かれていました。
これでは100回勝負しても、結果は見えています。
こんなゲームは面白くないと思わないのでしょうか。
皆さんも近くの小学生に声をかけてチェックしてみてください。
こんな風に人と関わる力が弱くなっている子どもたちですが、
生まれてきた世の中が自由で平等の社会なのです。
これが厄介なのです。
私が経験した子ども時代の遊びはまさに
強いものが強いものを集めて結果が見えるゲームをしていました。
面白くもなんともない。
それがイヤで1人でふらふらしていたように思います。

昔は良かった。今は悪いといっているわけではないんです。
昔とは違う時代なのだから、
昔と同じ子育てをしていてもだめなんだと思います。
(詳しくは・・・http://nuramama.jimab.net/e2887.html)
またアドラー心理学の中で、「子どもに任せる」ことの大事さを書きました。
(詳しくは・・・http://nuramama.jimab.net/e3199.html)
でも、これは何でもかんでも子どもに任せて、
親が全く関わらないというわけではおそらくないと思います。
ルールも秩序もない遊び方をしている子どもに、
親としてではなく、大人としてでもなく、
対人間として、意見言葉で、伝えていく必要のある時代なのかもしれないなあ。
それに機械に任せる時間は減らさないとな~
テレビやビデオを見せていると子どもは静か。
そのうちに家事を・・・と思ってしまうけど。。。
これは考え直していかないといけないのかも。

友人で一週間で一日だけ、テレビを全く見ないデーを作っている子がいるけど、
それもいいよな。
全部が全部するのはしんどいから、
そうやってできる範囲でやるのはいいかも。
家族の会話が増えたって言っていたし。
私もやってみようかな~
まずは家族同士が関わって暮らしているかを考えてみようかな。
人とのかかわり方
2008年01月11日
これは以前紹介した岩城さんの本です。
この本はカンタンでとても読みやすく、薄いので、オススメです。


以前アドラーが
人間のあらゆる問題は全て対人関係の問題である
と言ったことを書きました。
(詳しくは・・・http://nuramama.jimab.net/e2771.html)
本当にそう。
私も毎日会う幼稚園のお母さんたちと
どうコミュニケーションをとったらいいかで悩んだり、
隣の義父母との関係で悩んだり、
ごつパパに対しても、子どもに対しても、
みんな対人関係の問題。

もともと私は苦手なんです。対人関係。
妙にびくびくしてしまったり、
話に間ができるのがイヤでいろいろ話題を考えていると疲れちゃって・・・。

子どもにはいい対人関係を作って欲しいなと思ってしまいますが、
やっぱりこれは練習が必要なんですよね。
子どものときにいっぱい練習させてあげたいものです。
この岩城先生の本には人とのかかわり方に関しても
書いてあります。
中でも傑作!!!というところがあるので
要約しますね。
外で学んだもの
昔大人に対して自由と平等がなかった子どもたちは、
大人の目の届かない外で自由になり
自由と平等の使い方を練習することができました。
下手に家にいたら
家のことを手伝わされるとか、勉強せいといわれる、
邪魔やと言われる。
「もう外に出とき、子どもは!」
子どもは邪魔者扱いだったのです。
そうして外で日が暮れるまで、寂しくなるまで、
できるだけ楽しく暮らそうとしたのです。
どうやったら幸せかな。楽しく暮らせるかな?
そうだ鬼ごっこをしよう。
と思った子が1人ではできないから
「おい、お前ら鬼ごっこせえへんか」と言って仲間を集めるのです。
集めるときに言い方があるのです。
楽しそうに集めないといけないのです。
「鬼ごっこしたいもん、この指とまれ」
それを暗く言ったらダメなのですよ。
暗く言ったら誰も集まりませんから。
人を集めるときは楽しそうにしていないといけないのです。
鬼を決めるときはじゃんけんで決めたりしたのですが、
人数が多いときは日が暮れるのです。
どうしたかと言うと歌で決めたのです。
「だ・れ・に・視・よ・う・か・な・か・見・さ・ま・の・い・う・と・お・り」
ところがうっかり友達に指差したりすると、
目で最初の鬼にしないでと言うわけ。
「自分は幸せに暮らしたいと思っているのに、
友達をうっかり指してしまった。どうしよう。困ったな。」
と思ったときは昔の子どもは
「もひとつおまけに・・・」と言うのです。
~略~
鬼が決まったら、「さ~にげろ~」と言って逃げます。
つかまりたくない子は隣の町内まで逃げるのです。
そうしたらゲームにならないから、
「あかん。あそこの電柱から向こうに行ったらあかんことにしようぜ」
とかいって、
捕まえたい人間と捕まりたくない人間が話し合って折り合いをつけたのです。
それで楽しく遊んでいたら、「わたしもいれて」と小さい子が来るのです。
「お前みたいな小さい子は邪魔、向こう行け」と言いたいんだけど、
誰かの妹だったり、いつもお菓子くれるおばちゃんとこの子だったりするので、
泣かすわけにはいかないのです。
困ったなと思ったときに、私たちの地域では「それならお前はごまめ」と言ったのです。
ごまめは「参加できるけど鬼にはならない」というルールなのです。
その子は「キャー」というだけで幸せなんだから入れとくだけなのです。
家族でトランプするときに3歳くらいの子は負けたくないのです。
そうしたら絶対負けないカードをたくさんあげるわけ。
参加しているだけでOKなのです。
勝ち負けを楽しめない間はゲームを遊べません。
それでも参加したい子には特別のルールを作ってあげましょう。
参加することに意義があるのです。
昔の子どもはそんな風にして適当にあしらいながら楽しむことができたのです。
昔の子どもはルールを作って、杓子定規にしないで、
自分たちが幸せに遊び続けるためには、
適用除外だといっていっぱいルールを作ったり、変更しながら人間関係を学んでいたのです。
傑作部分はこの後も続きがあるんですが、
それはまた今度にします。
自分たちがやっていた、「どれにしようかな・・」にはこんなルーツがあったのかと
驚くことも多いですが、

それより何より、
なんて豊かな遊び方だろうって思います。
「みんなが幸せになれる遊び方」を工夫して遊んでいる。
こんな遊び方が子どもができるようになれば、
豊かな人間関係を築く土台になるだろうな。。。
自分たちのときどうでしたか?
私は、自分たちの時代のときにすでに
こんな豊かな遊びはしていなかったように思います。
特に私は産まれて10年は東京にいて、
しかも学童に通っていたので、
みんなで外で遊んだ経験は少なく、
どの子どももこんな工夫したやさしい遊びをする子なんていなかった。
熊本に転校してみて、田舎の学校だったので異年齢で男女混ざって、
こういった優しい遊び方をしている子もいたように思いますが、
もう5年生で、前思春期にあたるところだったので
(詳しくは・・・http://nuramama.jimab.net/e3254.html)
そんな遊び方を経験せずに終わったように思います。
自分たちの子どもにはこんな楽しい遊び方、優しい遊び方を知ってもらいたい。
でも幼稚園で果たしてこういった遊びができているんだろうか。
異年齢の幅が狭い中でこういった遊びができているんだろうか?
すごく疑問です・・・

実際小学生の子どもをお持ちのママ友達に、
「子どもはDSを使って友達と対戦ゲームしたりするから、
DSを買ってあげないとかわいそうかなと思ってうちもやっと買ったわ~」
みたいな話を聞きます。
天気のいい日にDS持って、静かにピコピコやるわけでしょう。
それで人間関係学べるのかなあ・・・

豊かな遊びを通して、人とのかかわり方を学んでもらいたい。
そうするために私たちができることって何なのかな~
時代に流されていくしかないのかな~
疑問でいっぱいです。
子どもにあいさつを強制しない?
2007年12月17日
この本はここでも紹介しています、
静岡のおもちゃ屋さん、百町森の店主柿田さんの育児書です。
絵は百町森の相沢さんが書いています。
この相沢さんはネフ社で自分のデザインするおもちゃを出すような
おもちゃ作家でもあります。
(我が家のネフの積み木はこちら・・・http://nuramama.jimab.net/e2698.html)

この本は絵が多くて、わかりやすくて、とても読みやすい。
出産のお祝いにもいいですよ。

結構衝撃的な言葉も出てきます。
『かたづけをさせない』

ただでさえ遊ぶ時間が奪われている中、
やっと遊びが始まろうとするやいなや、
「かたづけなさい」という声が響き渡るのでは
悲しすぎます。
そのためにいつも遊びが深まらず、
毎日振り出しに戻らなくてはならないとしたら、
その子の応用力はなかなか身につかないといえます。
明日も続きが遊べるように出しっぱなしが必要なときもあります。
「自分で出したものは自分でかたづけなさい」
「僕が出したんじゃないもん」
「兄ちゃんが最後に使ったじゃん」
この言い方は道路のごみを拾わない公共心のない子を作ります。
「自分で出したんだから自分で片付けてよ~」
って言ってる・・・

なるべく言わないようにしたら、
ししうまはこっとんの出しまくったおもちゃも
たま~に片付けてくれるようになったけど・・・
「こっとん、自分で出したんだから片付けてよね」ってししうまが言ってる・・・
こういうことって結構あるんですよね~・・・

自分の真似している子どもを見て、
「きゃ~
」って思うこと。やめて~まねしないで~
みたいな・・・これを読んで、作った積み木の作品はそのままにしておいたりします。
そして2~3日かけて遊ぶこともあります。
リビングで積まれたりすると・・・邪魔なんだけどね。
だから百町森さんでは組み立て可能なカーペットで、
おもちゃを出しっぱなしにしてもいい場所を作ることを提案されています。
(出しっぱなしの様子・・・・http://nuramama.jimab.net/e2864.html)
『あいさつを強制しない』
挨拶を強制するようになったら、
親自身が自己中心的で、
子どもを見ていないことが多いのではないでしょうか。
大人同士がいつもニコニコ挨拶していることが肝心です。
お店にいらっしゃるお客さんに
「『こんにちは』は?」
「『ありがとう』は?」
「『さようなら』は?」という人がいます。
こういう人は、子どもに挨拶を強制しているが、
自分は全く挨拶をしない人が多いです。
結構が~ん
ときますよね。「バイバイは?」って言っちゃう~

あまりに愛想のない固まった表情していると、
促してる、促してる・・・バイバイを・・・

他にもこの本からはいろいろと学びました。
基本的生活習慣の身につけ方です。
基本的生活習慣はやっぱり小さいうちに
きちんと身につけておきたい。
そのためのポイントを教えてくれます。
『子育ては日課作りから』
朝方のリズムは健康のもと。
『毎日同じ時間に同じことをする』
例えば朝散歩に行くと決めれば、
雨が降っても
寒くても散歩に行く。
毎日同じ時間に同じことをするのが日課。
『日課ができると号令命令がなくなる』
日課作りがうまくいき始めると毎日の生活が大変うまくまわり始めます。
子どもが静かで落ち着いてくる。
次に何をするのかがわかっているのでどんどん自分から行動し始める。
大人も大声を出さなくてすむようになります。
いろいろなしつけの問題、例えば言う事を聞かない、
遊び食べをして困る、間食ばかりする、
テレビばかり見ている・・・などは日課がしっかりしてくると自ずと解決してくる。
『流れる日課を作る』
夕食の後は・・・ボードゲームをして、
(我が家のボードゲームはこちら・・・http://nuramama.jimab.net/e2813.html)
お風呂に入って・・・
パジャマを着て・・・
本を2冊読んで・・・
電気を消せばもう寝ているというもの。
うわ~電気を消せばもう寝ている・・・なんてステキなの!

うちの子は2人とも、夜泣きをします。
ししうまはおっぱいを飲んでいた時は
毎日5回くらい起こされて、
卒乳しても、3歳くらいまでは、
必ず夜中に泣かれました。

こっとんはししうまに輪をかけて寝てくれません。
おっぱいの時は8回くらい起こされて、
卒乳しても夜何回か起きます。
今は夜泣きの真っ只中、
これを書いている今も、
2時半に起こされて、1時間くらい泣きっぱなし。

何してもダメだし・・・困っています。

そんな2人が、日課を作ることで、
せめて寝入るときだけでもすんなり寝てくれたら・・・
うれしい!

日課を作って毎日8時には寝ることで、
ししうまは勝手に寝てくれるようになりました。
こっとんはお昼寝の加減にもよります。
発展途上です。

もちろんこの本にはおもちゃのこともたくさん載っていますよ。
『武器のおもちゃを与えない』
『動力のおもちゃを与えない』
『キャラクター商品を与えない』
など、興味深い内容いっぱいです。
知らなかったおもちゃの魅力もたくさん教えてもらいました。

オススメですよ。
そんな旦那と仲良く暮らすには・・・
2007年11月13日
この本は先日講演会を聞きに行った岩城先生の本です。
「自由の与え方」というと堅苦しい気がしますが、
中味はユーモア満載の面白い本です。
薄いのであっという間に読めてしまいます。
少し引用しますね。
実は女性にも昔、自由がなかったのです。ついこないだまでなかったのですよ。
もうね、お父さんが突然連れてきた人と結婚するんですよ。
「お前の連れ合い見つけてきた。この人と結婚するんだ」と言うんですよ。
「ギャー、こんなおっさん」と言っても、こんなおっさんに一生キスされるんですよ。
いやでしょう。想像しただけでぞーっとする一生でしょ。
今は、違う。自由があるわけです。みんな好きな人を選べるのです。
つい選びすぎたりするわけです
面白いでしょう?

このお話の続きはもっと面白いんですが、結果的には
「あ、うん」の呼吸の男女の関係は終わり、
女性も嫌なことは嫌、と言える自由と平等の時代になりました。
女性が男性から自由を獲得したように、
今、子どもが大人から自由と平等を手に入れようとしているのです。
男と女の関係が変わると、大人と子どもの関係が変わり、
社会が変わっていきます・・・
という内容になっていきます。
他にも参考になるところは多々あるんですが、
私はこの本を読んで
「なるほどね~~~」と
自分の中にすとんと落ちたものがありました。
育児に関する本なのに、
うちのごつくんと仲良く暮らす方法みたいなのが見えた気がしたのです。
自由と平等の時代に彼と仲良く暮らすには、
日本人特有の「言わなくてもわかる」を捨てて、
具体的に「上手に依頼」して、
「上手に自己主張」して
「上手に折り合い」をつけていかなくては・・・
そしてそんなパパとママの姿を見せて、
子どもを育てなくては・・・とわかりました。
でもなかなかできないんだよね~~~

子育てに悩んでいる人にもこの本はお勧めです

